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ヴェーヴェルスブルク城 Wewelsburg

中世の城塞から
領主司教の私邸を経て
ナチス親衛隊の本拠地へ


ヴェーヴェルスブルク城はドイツ・ノルトライン-ヴェストファーレン州のパーダーボルン区、ビューレン市にあります。谷の山頂に建つ山城で、ドイツの城では数少ない三角形の土台を持っています。9世紀から10世紀にかけて、フン族に対抗する砦として基礎が築かれ、1123年にアルンスベルク・ウェルル伯爵領君主フリードリヒによって増築されました。その後、破壊や修復が繰り返され、1603年ごろにパーダーボルンの領主司教が城主となり、今日のヴェーヴェルスブルク城が完成します。新しく建てられた部分に組み入れられた旧城壁と、三角形の土地の各頂点に建つ3つの塔がこの城の特徴的な外観です。正門の上にはラテン語で「多くの民が入りたがるが、入ることはできぬ」などと書かれ、聖職者が下民を寄せ付けずにここで暮らしていた様子がうかがえます。中世の時代に場内の尋問部屋で魔女裁判が行われた記録も残っています。しかし1646年、30年戦争のさなかにヴェーヴェルスブルク城は激しく破損し、修復されたものの、領主司教は次第にこの城を離れ、以後19世紀までヴェーヴェルスブルク城は借金のため必要最低限の管理だけが成され、軍の刑務所として使われたり、民間の手に渡ったりしてその性格を変えていきました。1924年には城の立地であるビューレン市が所有者となり、ヴェーヴェルスブルク城保護協会の名の下に管理を始めました。

1933年にナチスが政権を握ると、親衛隊(SS)の指導者であったハインリヒ・ヒムラーはSSの城塞としてヴェーヴェルスブルク城に目をつけました。SSは年間1マルクというタダ同然の家賃でヴェーヴェルスブルク城を借り受け、大々的な改装を行います。内部は親衛隊のシンボルで飾られ、前庭には2つの大規模なSS事務所が設置され、城外の村には親衛隊員のための別荘を建設するといった具合で工事が進められました。1940年を過ぎると工事の規模はますます拡大し、城だけでなく村全体が城塞として整備され、住民は立退きを強いられることになりました。土木作業員が大量に必要なので、ヴェーヴェルスブルクに強制収容所が新たに作られ、記録に残るだけでも4千人の捕虜がここに送られました。

オカルト主義の傾向があったヒムラーは、かつてゲルマン民族の土地をフン族から守ったこの古城をSS幹部の集会場とし、様々な儀式を執り行ったと言われています。城内には親衛隊幹部の家系の紋章が飾られ、年に一度の幹部集会では宣誓式が行われ、SS幹部はドクロを象った指輪をしていますが、持ち主が親衛隊を離れたり死亡した場合はその指輪をヴェーヴェルスブルク城に保管すること、広間で何時間も瞑想をしたこと、などが知られています。食堂には円卓に13の席が備え付けられ、選び抜かれた親衛隊部のための個室もあり、随所にルーン文字やゲルマン民族の装飾がなされました。今日まで残っているもので最も有名なのは、北の塔の「上級分隊長の間」と「地下霊廟」です。「上級分隊長の間」は、塔の1階にある円形の広間で、周囲にアーケードと連結して12本の柱が立っています。中央の床には深緑色の大理石のはめ込み装飾があり、ルーン文字のSやハーケンクロイツを思わせる12本の光線が輝く日輪が描かれています。このマークは今日「黒い太陽」と呼ばれ、右派の秘教徒やネオナチ、極右派がシンボルマークとして使用しています。「地下霊廟」は上級分隊長の間の下にあり、ミケーネ文明のドーム状の屋根を持った墳墓を思わせ、中央には「永遠のかがり火」を焚くための台が見られます。これらの設備の正確な使用目的は明らかになっていませんが、ヒムラーの計画では、ナチスドイツが世界大戦で勝利した後、ヴェーヴェルスブルク城は親衛隊の中央部として、またゲルマン民族の信仰の聖地として機能するはずでした。ちなみに窓や扉の壁には12のくぼみ、地下のドーム屋根中央には12のカギ十字、壁には12の石の台座など、12という数字にこだわるのはかつてのドイツ騎士団の12人の騎士僧や、北欧神話の12神、アーサー王の12人の円卓の騎士、12のSS中央部署などに由来すると言われています。食卓の席が13なのは、12人の親衛隊幹部に王=ヒムラーを合わせて13ということです。

終戦間近の1945年3月、ヒムラーは城塞を全て破壊するように命を下します。爆薬が足りず、外壁と北の塔だけは残りましたが、ヴェーヴェルスブルク城は焼きつくされ、監視塔や司令部など周囲の建物は完全に破壊されました。戦後の修復工事を経て、ヴェーヴェルスブルク城は今日では歴史的建造物として一般公開され、ヴェーヴェルスブルク地域博物館が併設されています。博物館は2つに分かれており、1つは1802年までの民俗学や歴史的展示のあるパーダーボルン大司教区本部の歴史博物館、もう1つは1933年から1945年の追憶記念館で、「SSのイデオロギーとテロリズム」という常設展があります。これはナチス親衛隊(SS)に関する世界で唯一の総括的な展示です。

建物の一部はユースホステルになっており、ベッド数は204台、会議室や体育館もあり、誰でも利用することができます。宿泊料金は青少年が25ユーロ前後、27歳以上は30ユーロ前後です。




周辺図。中央の小さな三角形がヴェーヴェルスブルク城です。(クリックで拡大



外観。左の屋根が平らな建物が「北の塔」。



塔の1つ。内部は現在ロビーや視聴覚室になっています。



堀の上を渡る橋



橋の側面中央には「ナイトコプフ Neidkopf」と呼ばれる厄除け像があります。年代表記は橋の増幅工事が行われた1934年。ナイトコプフとは中世ヨーロッパの伝統で、魔除けのために戸口にしかめっつらをした獣や人間、架空の生き物などの頭を石や木に彫って備え付けるものです。



中庭から領主司教の私室へ通じる扉



歴史博物館内の、当時の台所の展示


凝ったモザイクの床



北の塔の親衛隊上級分隊長の間。当然ながら当時はこんなクッションはありませんでした。



大理石の「Schwarze Sonne (黒い太陽)」



地下にあるSSのワインセラー。高い壁全体にびっしりと穴が並んでいます。


ヴェーヴェルスブルクへのアクセス
パーダーボルン中央駅から460番のバス(Büren-Wewelsburg行き)に乗り、Schule/Kreismuseum駅で下車。パーダーボルン/リップシュタット空港からは2キロ程度の距離。





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