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ナンバープレートの謎

2017年のコントロールで
1993年のナンバープレートが
問題に

毎週土曜日は買い出しのために国境を越えてイタリアに行きます。片道70キロの道のりですが、平日は全く家から出ない生活をしていて、物価の高いスイスに比べてイタリアの食品は安くて美味しいし一人千円くらいの予算でピザが食べられることもあり、ここ数年は週に一度出かけるのが習慣になっています。今日は家を出るのが少し遅くなってしまい、夕方6時半くらいに買い物をする街に着きました。スーパーの駐車場を目指して駅前の広場を抜けようとしたら、イタリアの警察が2人立っていて車を止められてしまいました。免許と身分証明書を提示するように言われたので、抜き打ちの路上検査だと思って言われた通りにしました。

パトカーの中にあるパソコンで何やらデータを調べた後警官が戻ってきて、今度は車の登録証や各種書類を要求されました。幸い全部あったので見せると、またデータを照合して警官が首をかしげながら「この車の持ち主は誰ですか?」と聞くので運転していた主人を指して「彼です。」と答えると、「ナンバープレートも彼のですか?」と言われました。「車もナンバーも彼のです。車両登録書に書いてありますよ。」「いつからこの車に乗っていますか」「2009年7月からです。」ここでしばらく沈黙があり、思いもしなかった答えが返ってきました。

「あなたのナンバープレートは1993年に盗難・紛失届が出されていて現在もシステムデータベースに紛失状態で記録されています。」

盗んだナンバーを使って盗難車に乗っていると疑われたのか、次々に「車は誰の名前で登録されていますか」「いつから乗っていますか」「XXさん(1993年時点のナンバーの持ち主)を知っていますか」「本当にあなたの車ですか」などと質問を浴びせられましたが、こちらは全く予期せぬ事態なのでそんな事実は身に覚えがありません。2009年に新車で購入した車をティチーノ州の公式な交通局の窓口で登録し、同時に交通局の職員から渡されたナンバープレートをその場で取り付けました。登録証にもこのナンバーと正式な交通局の名称が記載されています。当時から今まで問題が起こったことは一度もありません。「過去にこの車で警察の検問を受けたことがありますか?」と聞かれ、何度か受けたことはあるけれどナンバープレートが問題になったことはないと答えました。州立の交通局で車検を受けたときも、毎年の自動車税の支払い時も、毎週国境を通過するときも、盗難や紛失の話は全くありませんでした。だいたい、スイスに引越してきたのが2005年で今の車を買ったのは2009年なので、1993年の出来事など知るはずがありません。警官もこちらの戸惑っている状況を理解し、スイス(ティチーノ)交通局のデータベースの管理やヨーロッパの警察の捜査システムを疑って何度も再検索をしたり地元の警察に問い合わせたりしてくれましたが、土曜日の夜で交通局は閉まっているし、警察だけではどうにもなりません。主人と私はこの疑惑付きのナンバープレートで走り続けるわけにもいかないので、何をすればいいか相談し、イタリアの警察がスイスの交通局宛てに調書を作成してくれることで合意しました。5分程度でできるというので、警察の車を追って事務所に行って手続きをすることになりました。

ちなみにイタリアの警察組織は国家レベルや自治体レベルでいろいろな種類があり、任務や規模も異なります。この日私たちが引っかかったのは「カラビニエリ」という国家憲兵で、陸海空軍と並んでイタリア軍を構成する4つの軍のひとつです。19世紀のイタリア統一時代に設立され、平時には一般的な警察のような業務を行いますが、有事には軍隊として機能するのでテロ対策、PKO、在外公館の保護などに当たり、第一次、第二次世界大戦時にも隊員に多くの犠牲者が出ました。黒が基調の制服やパトカーは普通の警察よりもちょっとかっこよく、ピストルやマシンガンを持って取り締まりをしているので威厳があります。私たちが案内された事務所も街の中心部ではなく少し離れた高台にあり、門には大きく「軍事警察」の文字があって内側から開けてもらい、さらに進む仕組みでした。中に入るとロビーには軍人や戦場の絵が飾られていたり、最新の戦車や戦闘機の写真もあり、路上で私たちの検査をした2人のほかに勤務していた別の2人のカラビニエリも出てきて、ちょっと物々しい雰囲気でした。書類作成のためにパスポートや免許証、車両登録証などを預けて、しばらく待合室で待っているように言われました。待合室も正方形で壁にベンチがあり、軍の写真や絵が掛けてあるので何だか緊張します。

5分で終わると言われたのに15分経っても20分経っても終わらず、隣の部屋で2、3人のカラビニエリが書類やデータベースを照らし合わせながら苦戦しています。コピーした書類を渡したり確認事項を聞きにきた若いカラビニエリが待合室に残って間を繋ぐためにおしゃべりが始まりました。彼はヴァイオリン工房で有名なクレモナの出身だそうで、地元で観光客のガイドをした経験もあり、日本人の友達がたくさんいること、東京と京都に行ったことがあり、シブヤやアキハバラを歩いた経験や日本食がおいしかったことなどを話してくれました。彼の知っている日本人はみんなイタリアが好きで、私のイタリア語は典型的な日本人のアクセントがあること、日本はイタリアやドイツに比べてずっと治安がよくて体制も整っていてうらやましいことなど日本の話題で盛り上がりました。そうしているうちに何とか書類の作成が終わって、目上らしき担当者がティチーノの交通局宛てに作った調書を見せてくれたので内容を確認してサインをしました。今日の何時にどこの路上で検問を受けてナンバープレートの件が問題になったこと、このナンバーは1993年にティチーノでイタリア人女性XXさんが盗難紛失届を出していること、主人と私はこの女性と全く面識がなく、2009年に正式な手続きを踏んで車を登録したこと、などが書かれており、交通局にこの件の説明や解決を求める内容です。カラビニエリの紋章付きの用紙で、見た目も立派です。この場はこれで一件落着なので、預けていたほかの書類も返してもらって用事が片付きました。コーヒーを勧められましたが、時間はもう夜8時過ぎ、まだ買い出しも済ませていないし晩ごはんにピザを食べに行くつもりだったので有難くお断りして主人は「逮捕されて牢屋に入れられなくてよかった」と冗談を言って笑われて、頑丈な門を開けてもらって外に出ました。


週明けにカラビニエリで作成してもらった書類をティチーノ州の交通局に郵送し、数日後に交通局の担当者から電話がかかってきました。問題になった1993年に盗難届が出ているナンバープレートは、ティチーノ州内およびスイス国内ではもう解決済みとして時効になっていて、何の問題もなく使えるそうです。イタリアのデータベースはシステムが違うので大昔のデータが永久に残っていたり、当時ナンバーの持ち主がイタリア国籍の女性であったためイタリア警察のデータだけに入っているのかも知れないとのことですが、外国のデータはティチーノの管轄外で権限も及ばないため、何もできないと言われました。スイスでは全く問題ないのでこのまま今のナンバーを使い続けることができますが、もし気になるなら新しいナンバーを交付することもできるそうです。その場合は理由としてイタリア警察の書類を提出し、同時に車両保険会社への連絡や新しい登録書類の作成などの手続きも必要になるので、時間もかかって面倒です。今のナンバーはけっこう気に入っているし、イタリア以外では問題になることもないのでこのまま使い続けることにしました。もしイタリアでまた検査に引っ掛かったときはカラビニエリの文書のコピーを車両登録証と一緒に携帯して提示するように決めました。

国境続きで気軽に行き来できる隣国ですが、交通局や警察のデータシステムの相互機能はあまり正確ではないようです。うっかり犯罪を犯してひとつの国では逆転無罪になっても、別の国では有罪判決のままだったり、大昔の履歴が残っていたり、いろいろな勘違いがほかにも潜んでいそうです。今回は私用で時間もじゅうぶんにある場面だったので少々拘束されても笑いごとで済みましたが、大切なアポイントがあって出かけたときや国際線に乗るために空港に向かっている途中などだったら一大事です。今後も国境を越えた移動は覚悟しておいたほうがいいかもしれません。







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